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村木源次郎 其の三 『あくびの泪』 和田久太郎

『あくびの泪』    和田久太郎

序歌  

あくびより湧きいでにたる一滴の 涙よ頬に春を輝け

<その夜の歌>  

1925年1月23日午後3時、突如、部長来たりて村木君病危急と告ぐ。直に、

靴音に守られつつ病管監へと急ぐ。我が監房より遙か隔たれり。  

友の病ひ篤しと聞きつ急ぐなるこの足下の土の冬風  

衰えを偽りかくす勢ぞと眺めしことのあはれ違はず  

噫!友の面貌……。枕頭には獄医、部長、看守、雑役夫、布施氏、山崎氏、沼判事など雑然たり。  

その瞳はや甲斐もなし我が血潮通へと握る手もつれなかり      

激しき麻痺来る--。今日、午後より数回起ると雑役君の教ゆ。  

喰ひしばる歯の間より流れ出づ苦しみの痰血のまじる痰  

ぽろぽろと涙落ちけりわが涙まだ枯れずして残り居にけり       

古田君駆けつく。布施氏と沼判事との交渉なりて責附出獄と決まる。  

世を隔つ煉瓦の底の鉄窓に病みて消えゆく友を見つむる  

赤錆びに似たる光の慄ふなるすすけし電球に我れ眼冴ゆ  

お伯母さん来る。続いて奥山先生、山崎氏と共に駆けつけらる。

……この上は、ただ自動車の用意を待つのみ--。  

心やや落ちつけにけり病監のかかる障子も和みおぼゆる  

病む友はひそと眠れり雑役の尿の響きも安けしと聞く  

やや経ちて、自動車の準備に出て行きしお伯母さん帰り来り「運転手は病人を乗するを拒みてきき入れ

くれず、今 また、白山より寝台自動車を呼ぶことにせり」と悄然たり。古田君と眼を見交わして恨みをのむ。  

白山の方ぞと見つむ眼の前の冬ざれの庭曠野とおもほゆ  

再び麻痺襲い来る--。意識は既になく。手足も次第に冷え行く、ああ………。  

苦しみの餘音か知らず天井の暗きにふるふ蜘蛛の破れあみ   

寝台車来る。午後六時也。担架を守りて表門の広庭に出づ。星二三見ゆれど四辺暗く、

高木に非風聞ゆ。寝台車に 移す時、またまた麻痺起る。うす闇の中に山鹿君の顔を認

む。安谷君の声も聞ゆ。自動車出づ……。さらば村木よ!  

永遠へのこれが別れと冬の夜の獄庭の闇に眼燃え居り   

監房へ帰り行く……。遙かの庭の暗中に古田君の声あり、「大切にしたまえ……」  

監房に帰りてぐいと飲みほせし一と杓の水寒冷の水



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by osugi-sakae | 2011-06-15 09:55
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